あいちトリエンナーレ 津田大介氏も責任を擦り付けて、責任転嫁で永久機関が完成

津田大介氏があいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」に関してお詫び記事を公開しました。
あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」に関するお詫びと報告 – 津田大介 – Medium
この津田大介氏のお詫び記事は責任転嫁と言い訳と言い訳がズルズルダラダラと書き綴られており文字数にして1,000文字という大作です。
正直、長すぎるし読んでも気持ち悪さくらいしか生まれない内容なので忙しいひとは読む事はオススメできない。
津田大介氏のお詫び記事の要約
その大作の中で何を言っているのか要約してみます。
- 「表現の不自由展・その後」の展示物は「表現の不自由展実行委員会」が決定したもの
- 少女像・昭和天皇など問題になった作品は展示しないように求めた
- 少女像は慰安婦像ではないと聞いている(ソウルにある慰安婦像の作者だけど)
- 昭和天皇のご遺影を燃やしている作品ではないと聞いている(あくまでコラージュ)
- 昭和天皇を2代前だからいいじゃんと発言した理由はfkんdfねlfj;s
- コロスリストは自身の怒りを抑えるため、実行する気はなかった
- 進退について、トリエンナーレを無事終えることが自身の責任の取り方であると考えています
- 展示再開の目途が立たないことについて、申し訳なく思っております
- こんなときだからこそ、芸術や表現の力でその状況に対抗していかなければならないのではないでしょうか
責任転嫁で永久機関が完成
大村知事(代表)「全ての責任は芸術監督の津田大介氏にある」
↓
津田大介氏(芸術監督)「問題の展示物は止めたのに表現の不自由展実行委員会が決定した」
↓
不自由展実行委員会「行政によって表現の自由が損なわれた」(中止を決定したのは大村知事)
というわけで、責任転嫁の永久機関が完成しましたね^^
不自由展実行委員会が可哀想?いいえ、彼らは全員反日プロパガンダの精鋭メンバーです。
検閲と審査の違いはどこに
大村知事も津田大介氏も問題視されている少女像・昭和天皇を題材とした作品を展示を止めるよう求めたが、これ以上は検閲にあたるとして展示作品から除外する事が出来なかったと説明しています。
今までの発言やツイート内容などから「展示を止めるよう求めた」というのもにわかに信じがたい話ではありますが、その前に、検閲にあたるという理由で展示作品を制限出来ないのであれば、同イベントに作品を展示したいといったアーティストの作品は全て展示しなければならない事になります。
津田大介氏の「気に入らない作品は全て除外して入れ替えた」という趣旨の発言の通り審査は行われていたのも事実、
当然、主催者としての作品の審査は必要なわけで、それを検閲と言ってしまうのはいかがな事でしょうか。
昭和天皇のご遺影を燃やしている作品ではないと聞いている
あの作品のどこをどうみたら、そうではないと言え、そしたそうなのですねと感じられるのでしょうか。
釈明されていますが、完全に精神論。
自分から外へ外へ拡散していく自分自身の肖像だろうと思うイマジネーションと、中へ中へと非常に収斂していく求心的な天皇の空洞の部分、そういう天皇と拡散していくイマジネーションとしての自分、求心的な収斂していく天皇のイマジネーション、つくり上げられたイマジネーションとしての天皇と拡散する自分との二つの攻めぎあいの葛藤の中に、一つの空間ができ上がるのではないかと思ったわけです。それをそのまま提出することで、画面の中に自分らしきものが表われるのではないかと思ったのです
あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」に関するお詫びと報告 – 津田大介 – Medium
日本人を統合する象徴――アイデンティティとしての昭和天皇。日本人として収斂される自分と、そこから外に出たい自分の両方が葛藤している。その葛藤をコラージュという手法で表現した絵であると作者は述べています
あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」に関するお詫びと報告 – 津田大介 – Medium
津田大介氏の記事での作品の説明部分はコラージュ(登場回数6回)アイデンティティ(登場回数5回)イマジネーション(登場回数4回)と連呼して訳がわからない状態になっています。
要は天皇陛下=象徴=自分?となるらしく、燃やしているのは作者自身という事?と。
もうどうにかしてごまかそうという感じですね。
昭和天皇を2代前だからいいじゃん発言
なぜこのように答えたのかというと、大浦さんの新作の映像作品では若き日の昭和天皇の肖像写真が燃えているところが映るのですが、まずこの元になった作品が「日本人としての自画像を表現するために昭和天皇をコラージュした作品」という説明を受けていたこと。また昭和天皇は今上天皇から見て2代前の天皇であるため、これを燃やす映像表現であっても、現在の日本の体制に対する反抗等には当たらないと受け止めていたからです。戦後生まれの僕にとって、天皇とは、敗戦によって元首の座を降り、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴となった以降の昭和天皇であり、上皇であり、今上天皇を指していました。大浦さんの作品に使われていた主権者としての昭和天皇は、僕にとっては、それ以前の天皇と同じように、歴史的、象徴的な存在だったのです。この点については、そうではない人々が抱く感情についてもっと想いを馳せるべきだったと反省しています。
あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」に関するお詫びと報告 – 津田大介 – Medium
その前に「大浦さんの新作の映像作品では若き日の昭和天皇の肖像写真が燃えているところが映るのですが」って、前項目であれだけ否定しておいて、認めてるじゃないですか・・・・
もう素直に謝罪すれば一行で済むところですが、絶対に謝りたくないようですね。
理由は読んでも、まさに意味不明です。
コロスリストについて
「自分を非難したやつは全員コロスリストに入れている」という発言については自身の怒りを抑えるためで、実行する気はなかったと書かれています。
実行する気はなかった、当たり前です、当たり前ですが、該当する発言のある動画をみる限り「怖さ」と「気持ち悪さ」が際立っていてとても「自身の怒りを抑えるため」なんて代物ではなさそうでしたが・・
途中から気持ち悪くなって、とても読めたものじゃなかったですね。
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